錯覚

バンドとたまごが好き

フィッシュライフが好きだ


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「フィッシュライフっていうバンドなんだよ!かっこいいでしょ!」カラオケで煙草とブランコ(本人映像)を歌い、マイクを握りしめて、意気揚々と友達におすすめした帰り道、LINEを開くと「大切なお知らせ」が届いていた。嫌な予感しかしなかった。どうか、この予感は的中しないでくれと、リンク先を押した(のにLINEからは飛べず焦ってtwitterから開いた)。

 

郵便受けの前で立ち尽くした。状況が飲み込めなかった。それなのに解散という言葉が目に焼き付いて痛かった。ゆっくり、ゆっくりと階段をのぼりながら、メンバーのコメントを読む。

踊り場でケータイを握りしめながら、気づいたら公式LINEに長文を送っていた。画面がぼやけて見えない。私はどうやら泣いているらしい。そこでようやく「私はこんなにフィッシュライフが好きなのか」と気づいた。

 

今までわたしは、好きなアーティストが解散をしてしまうという経験をしたことがなかった。解散をする事実に驚いたことはあって、ファンの方の立場になって考えてみたりもしたけれど、それは所詮想像に過ぎなかった。当分は存在すると信じてやまなかったものが、終わりへのカウントダウンを始めてしまった。タイムリミットが明示されてしまった。失恋に似て非なるこの痛みが、フィッシュライフを愛した深さなのだと気づいた。

 

どうしてあの日ライブに行かなかったんだ

 

どうしてバイトを入れたんだろう。どうせ単位取れるなら授業を早退して行けばよかった。どうして、あの日フィッシュライフを見るという選択をしなかったのだろう。

 

どうして、どうして、次があると思っていたのだろう。

 

先送りにしていたフィッシュライフを見る時間は、近いうちに回収出来ると思っていたのだ。私に残されたフィッシュライフを見る機会は2回のみとなった。Tokyo calling、そして、ラストワンマンライブだ。

 

Tokyo calling

下北沢、渋谷、2日間私は行った。沢山の大好きなバンドの大切な瞬間を見逃さないように。

解散の知らせから2ヶ月ほど経ち、私の心の中でフィッシュライフが解散するという事実は飲み込めたはずだった。

 

私にとって、これがフィッシュライフを初めて見る機会だった。私は少し緊張していた。リハ、サウンドチェックのために3人が出てくる。私は最前列におり、比較的、林さんに近い位置にいた。どこを見たらいいかわからず、ぼんやりとエフェクターを眺めていた。

 

アフターペッパードクターヌーンのイントロが流れた時、私はまだ、フィッシュライフが解散する事実を飲み込めていないと気づいた。まだ、この音が鳴り続けるのだと思ってしまった。私はこの曲が大好きだ。本当に、本当に、好きだ。歌詞のどこをとっても好きだ。まるで私の高校生活。情けないなぁ、切ないなぁ、懐かしいなぁ、という気持ちになる。優等生にもなりきれず、劣等生からは脱したかった私。でも、歌詞だけが良いのではなくて、フィッシュライフで鳴らされる音に乗るからこそ良いのだ。ああ、本当に大好きな曲だ。

 

1曲ずつ感想を述べてるとキリがないし、そんなに上手くあの情緒を語れる気がしない。とにかく、フィッシュライフはどこまでもかっこいいロックバンドだった。それだけのことだ。それだけのことが私をこれほどにも私を支えていた。

 

私は泣かないと決めていたのに、宮地さんに泣かれたら、堪らないよなぁ。

 

アンコールの、フェアリーテイルイントロダクションは、どうしても涙が堪えられなかった。フィッシュライフの、フィッシュライフとしての、最後の曲。この曲に対して抱く気持ちも、共感だ。どうしようもない気持ちを代弁してくれた。

 

間違いじゃなかったと思える時まで

僕は何度も間違っていくだろう

随分遅れた歌い出しでも

僕にしか歌えない Aメロがきっとある

よろめきながら きらめきながら 

生きていくのは死ぬよりこわいけど

かっこ悪い方を選んでいたいから

ほら もう手を振ることにしたよ

甘え続けた青春って言葉に

込み上げてくる涙は抑えられなかった。

林さんのギターソロかっこよかったな。

私はフィッシュライフが大好きだ。

 

「この世に悩むことなんて、何もない。上に飛ぼうとするから辛いんだ。でも、前には進める。もしまた会える時があったとしたら、笑顔で会えるようなみんなであって欲しい」

 

林さんはこんなことを言っていたと思う。林さんは、どれだけ考えたのだろう。悩んだのだろう。

 

とにかくかっこよかったのだ。かっこいいフィッシュライフに泣いたのだ。

 

私には勿論、私の人生がある。 私は私の人生の主役だから、私のことを考えなければならない。これは、UNISON SQUARE GARDENを好きになって田淵さんの言葉でハッとした事実だ。「時折忘れるくらいがちょうどいい。忘れたらそれはそれでいい人生だ」この言葉は大切な言葉だ。

 

それでも、私が辛い時に逃げ場をくれたロックバンドの最期を嘆くくらいは許されるはずだ。私の人生に彩をくれてありがとう。フィッシュライフが解散してしまうことで、私の中で、ロックバンドという存在が何なのかわかったような気がする。ステージの上にめいっぱい手を伸ばしても、届かなくて良いのだ。どんなに近くても、私はステージの下にいる。

 

フィッシュライフの解散のことを考えていると、いつも人生の終わりについて考えてしまう。それもどうかと思うけれど、終わりというものは大切なのだろう。いつかは終わる、それを念頭に置いて生きていこう。ライブの最中はそれを全力で忘れよう。

 

何度も言うけれど私はフィッシュライフが大好きだ。林さんの書く言葉でなければここまで好きになっていなかったのだろう。私は林さんの哲学を全て理解は出来ないけれど、私は彼の言葉が好きだ。どうか音楽を辞めないで欲しい。私に言葉も音も届けて欲しい。共に奏でる人が、宮地さんと寺岡さんじゃなくなるのはとてもとても寂しい。だって私はフィッシュライフの3人が好きだから。

 

ラストワンマンが近づいている。お金はないけれど、大阪まで行く。全財産を投げ打ってでも行きたいと思った。

楽しみかと言えば嘘になる。私は見たいだけだ。かっこいいロックバンドを。大好きなロックバンドを。フィッシュライフを。

 

クラウドファンディングはとても嬉しい。DVDで、思い出をなぞれると思うと、フィッシュライフに会えると思うと、少し胸が苦しくなるけれど、嬉しい。

 

出会えてよかった。ありがとう。

大好きです。